WEBデザイナーの子供時代

WEBデザイナーの子供時代
WEBデザイナーの子供時代

自己紹介でも書いたようにWEBデザインの仕事をしていますが、プログラミングのさわりは30代になってから職業訓練校で学びましたが、デザイン自体は学校では学んでいません

学校では勉強しなかった私ですが、デザイナー歴は10年以上になります((アクセサリーデザイナー・WEBデザイン合わせて)子育て時代のブランクがあり、子育ての傍らバイト勤務も長くなり、年齢の割に中途半端な経歴にはなりますが)

美術系に進んでいれば、更にデザインもクオリティは高いものになっていたかもしれないですが、私は途中で音楽に興味が出たので、美術系ではなく音楽系の専門学校を出ているのですが、結果として音楽の仕事はしませんでした。

学校は必須ではない?

今デザインの仕事を出来ているので、学校でデザインの勉強をしていなくても、自主的にデザイン関連の事をしていればデザイナーの仕事に就く事は無理な話ではないと言えます。
大手企業で働きたい場合は美大や美術専門卒が必須となる場合も多いです)

ただ、現場で実際に見てきた事として、スクール卒でもセンスの問題や、仕事を自分の趣味のものしか出す事しかできず、辞めて行った同僚も何人も見ました。(あくまでもデザイナ―の仕事はクライアント、お客さんの求めているデザインを汲み、期日内に作り上げる事が必要)

何事でもそうだと思いますが、感覚やセンス・技術・経験などが大切になってくるかと思うので、実務で積む経験の方が企業でも評価される場合も多いです。

そんなゆるっと生きてきた”筆者もー”のデザイナーとしての下地ができた子供時代を、下記に書いていこうと思います。長くなるので20歳までの私のざくっとな経歴です。

幼稚園時代

1980年代生まれの幼稚園時代はもちろん、家にパソコンなどはなく、絵や工作は好きな子供ではあったかなぁ位の記憶です。

お絵描き

小学生時代

小学校低学年の頃はパソコンは家にはなく、『ワープロ』という、「ワードプロセッサ」という基本は文章をタイピングして、感熱紙で印刷する機械がある位だったと思います。そのワープロで遊んだりしている位でした。

きっかけはMACとキッドピクス

その後、Windowsが家庭でも普及してきた頃、我が家にもMACが導入され、小学校時代の1990年代前半にMACが家にある家庭は記憶では僅かにしかなかったと思います。

最初は小学生でも扱いやすいお絵描きソフトキッドピクス」を親が入れてくれ、お絵描きのペンや、スタンプを押すたびに楽しい音が鳴り、子供向けの良いソフトだったと思います。

人形とMAC
イメージです

確かMacintosh Quadra 650という機種だったかな?ベージュのクラシックなボディーが懐かしいです。

ブラウザーでキッドピクスが復活していた!

思い出しながら調べてみると、なんと何と2021年にブラウザ上でお絵描きができるappとして復活していました!(密かに感動!!)ぜひどんなものか気になる方はチェックしてみてください。
キッドピクスはこちら

中学生時代

中学生位になるとパソコンのお古がまわってきて、

Power Macintosh 7200というmacを使っていた記憶があります。

きっと当時高かったんだろうと思います。
父がCADでの仕事をしていたので(まだ勉強段階だったのかな?)スペックの良いものが必要だったんでしょうね。

もう少し高度な事がしたくなり、文章や図が作成できる『クラリスワークス』という、ソフトを使って、お絵かきなどもしていました。

何と当時はクラリス(appleの子会社)という、時代が移るにつれAppleWorksという名前に変わりましたがアップルコンピュータがソフトウェアも開発していたんですね。

私は宿題のレポート提出などもクラリスワークスで楽に作っていました。
ネットから画像を拾ってきて表にいれる。メチャクチャ楽!手抜きなのに見栄えする!笑
(当時出始めでネットリテラシーなどもそこまで言われていなかったと思います(;´・ω・))

当時はこれが出来る子供が少なかったかなと思います。

パソコンする女子
イメージです

そしてwebの時代になってきた頃でした。インターネットに繋ぐと、今ではFAXかという感じで『ピポパポピーヒョロロ~』っと音が出てダイヤルアップ回線でつながる。ネットしているときは電話が繋がらなかったような?ブラウザーはネットスケープの時代でした。

通信機器の転換期

初期ではポケベル、PHSや携帯を持っている子も出始め、その辺りを持っていなくて、PCが家にある子達の中ではポストペットという「メールを送信すると、キャラクターが手紙を運んでくれる」という可愛いメールソフトが流行り、自分も乗っかっていた側でした。
たまごっちが生まれた時代でもありました。

自分のサイト

更には自分でサイトも作っていました
簡単なプロフィールや、父からのおさがりのデジカメで自分で撮影してphotoshopで加工した写真、illustratorで描いた絵UPしていました。
パソコンいじるのは好きだったので、ソフトもいじりまくって、教えられた事はなく自力で使えるようになってました。

でもそのくらいで大したボリュームはなく、これもapple子会社のソフトで作っていた気がします。
cssなどは使っておらず、ボタンを押したら、htmlが吐き出され、組み立ててくれるとかだったような、、

今考えれば、個人情報とかもそんな意識しているつもりもなかったけど、無意識に気を付けてはいて、意外と問題も起こりませんでした。

父からのアルバイト

たまに父親からティーン向けの仕事が入って1~2回はフルーツの絵を描いたり、ロゴをトレースしたりして数千円お小遣いとしてもらったりもしていました。

フルーツイラスト
イメージ こんな感じだったかな?でももっと下手だったように思います。

音楽の方に興味が偏りだした

更に中2にはエレキギターを弾くようになっていたのでバンドもしてみたくなり、同じようにwebサイトを持っている高校生(女子)と出会ってバンドを組むように。

手作りグッズにも興味

そのバンドのサイト用のイラストや、キリバン(カウンターがついており、ジャスト777や1000番などを踏んだ人)には申告してもらい、イラレで作ったバンドオリジナルステッカーをプリンターで印刷してプレゼントしていました 笑

あと中学の友だちと薬瓶のパロディのラベルをイラレで作って、空きビンに貼るという不思議な遊びもしていました。

ステッカー
イメージです

高校生たちと組んだコピーバンドでユニクロで買ってきたTシャツにインクジェットプリンターでプリントし、アイロンで転写したバンドTを作りライブで着たりもしていました。

デザインフェスタ

手作りなどにも興味があり、一人で1時間位電車に乗り、国際展示場までデザフェスに通うような子供でした。(友達はいましたが、モー娘。やspeedなどが流行っていて、きっと誘ってもついてくるような子はいないだろうなと、誘いもしませんでした。)よく変わっていると周りから言われていたので、個性派で浮いていたと思います。

CAD、3Dソフトもかじったが、、

キャドソフトでも簡単な図形を組み合わせて、バンドのイラストで3Dの絵なども描いていましたが、さすがにキャドは、自分でいじるだけではマスターはできませんでしたね(;´・ω・)
CADする目標もないですしね、、

3Dのウサギ
イメージです。丸などの図形の組み合わせで作れる、ここまでクオリティは高い絵は作っていませんが、
こんな雰囲気のウサギなどを描いてレンダリングしていました

中3の頃には卒業文集もイラレで作っていました。
そんな女子が作るものなので、きっとすごいマニアックな内容だったと思うので、ある意味黒歴史でしょうね…(^-^;

高校時代

ゆるく入学

受験までの成績UP対策のために塾には通いましたが、自分が入れるレベルの(低い)都立高校に推薦で入学したので、ろくに受験勉強を経験する事も、必死さもなく、ゆるっと入学した学校で、服装も、髪型も気にすることもなく過ごしました(都立はかなり自由でした)。

ギターをしていたので軽音部に入り自由な女子高生を謳歌していたと思います。

ギター女子
イメージです

好き放題な高校時代

絵などよりも音楽に傾いていたので、ギターばかり練習してはライブをこなし、友達と遊んだり、テスト期間は一夜漬けバイトも出来る時間で頑張る!という生活を繰り返していました(^▽^;)

校内イメージ

そんな感じで軽音楽部の唯一の発表の場は文化祭なので、文化祭までの期間学校内でもバンドを組み、みんなで練習はするのですが、人の呼び込みまでは考えていないだろうなと、自主的にillustratorでビラを作り、案の定、当日だれも用意していないので、私のビラが大活躍となりました!
部員みんなが私のビラを撒きまくってくれ、懐かしい思い出です。

比較的部活の中でギターもうまい方ではあったのと、外部のバンド活動なども頑張ってはいたので『バンドに入ってくれないか』といくつか声もかけてもらいました
でもやっぱり自分的にやりやすく、ギャルバン(女子だけのバンド)ばっかり組んでいました。
そのバンド活動の中でもたまにフライヤーをillustratorで作ったり、という事もしていました。

イメージです。体育館でライブできて楽しかったです

友だちの父親に仕事を頼まれる

色々パソコンが出来るからか、仲の良い友達のお父さんに部品パーツのイラストの修正(パンフレットかWEBだったかな?)の仕事をもらい、謝礼として数千円頂いたと思います。

イラスト制作
イメージです

きちっと必要なイラストを納品して、感謝もしてもらいましたが、こんな信用のない子供に仕事を任してくれたとは今考えても驚きです。

進学先

中学からバンドを共にしてきた子(2歳年上)が入った、音楽の専門学校があり、何度も遊びに行っては、その学校にあるスタジオを使ってバンド練習も行っていたので、生徒や先生にも覚えられ、早い段階で『その学校へ行く』と決めていました。(勝手に)

専門学校なので基本的には学費を払えば入れてしまうので、夏休みに体験入学などをして、特に受験勉強もせず、親に反対されるわけでもなく専門へと進む事になりました。

専門学校生

正直、音楽で食べていくとも思っていた訳でもなく、ただ音楽漬けの毎日を送れると言う位しか考えていなかったと思います。両親にも音楽の仕事するのとも聞かれなかったのを良いことに(;´・ω・)

ですが、当初の通り音楽漬けの毎日を送れたので、満足した10代最後を過ごせたと思います。
ギターばっかりできる毎日は本当に充実していてキラキラとしていたと思います。
先生も楽しい方ばかりで、その後の先生方の活躍もすごく、今思えば豪華な講師勢でした。

ギターのフレット

100人位いるギター科で女子は2人だけという中でしたが、ギターの腕はそこそこ上の方だったと思います。
バンド活動の傍ら、卒業前に先生に声をかけてもらい、スタジオミュージシャンの弟子入りみたいなことにもチャレンジする事になりました。

20歳まではこんな感じ

そんな20歳までの私のざくっとな経歴です。
途中で音楽に興味が出たので、美術系ではなく音楽に逸れちゃったんですね。

それでも好きなデザインの仕事もできていますし、音楽も好きなだけできたので、人生経験としては満足しています。若くて楽しい時代をめいっぱい楽しんだなと思ってます。(親はどんな気持ちだったんだろ(;´・ω・))

フェンダーフレット

ゆるっとですが、そんな様々な芸術に触れ合う事ができて、人生楽しく生きてきたという自信になっています。

MACキッドピクスデジタルアートの面白さに触れ、のちにadobe系のソフトも比較的低年齢で使っていたり、簡単なサイト制作経験も遊び感覚でできたのが良かった事と、中高でも少しイラストのバイトでお金を得ていた事もあり、デザイナーの仕事もいいなとどこかで思っている所はあったと思います。

子供時代まではあくまでもベースで、大人になってからがデザイナーとしての密度が高くなっていると思うので、また別の記事で書いていこうと思います。

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